経済について

主要産業は農業、漁業、林業。近年は観光産業と縫製産業が成長し、外国からの投資も大きな伸びを示している。主な鉱物資源として燐(未開発)、マンガン(未開発)、宝石がある。塩を4万トン生産する。経済成長率は、2004年に10%、2005年に13.4%、2006年には10.4%(カンボジア政府の統計)。

カンボジアの国土に占める農地面積は21.6%に及び、人口の34%が農業に従事している。生産年齢人口が人口の55.8%であることを考慮に入れると、カンボジアの主産業は農業である(以上、2002年時点)。しかしながら、労働生産性が低いため、農産物は国内需要を満たすに過ぎない。主要穀物では米(417万トン)の生産に特化している。商品作物の生産では葉たばこと天然ゴム(4.6万トン)が目立つ。

主要輸入品目は、石油製品 (8.2%)、たばこ、オートバイ。主要輸出品目は衣類 (77.8%)、天然ゴム、木材である。 主要輸出先はアメリカ (36.8%)、シンガポール、タイ。主要輸入先はタイ (15.6%)、香港、シンガポールである。

通貨はリエルが存在するが、カンボジア経済の実情と比較してリエルの為替レートが高く、特に輸出に不利なので、一部を除いては通常米ドルが使用される。カンボジアではポル・ポト政権下の1978年、原始共産主義的政策の一環として全ての通貨が廃止された。同政権崩壊後の1980年にリエルは復活した。地方、シェムリアップ西部のクララン周辺以西、以北、アンロンベンやプレア・ヴィヘアなどのタイ国境に近い地域ではリエルよりもタイバーツが使用される場合もあるが、1B=100Rで使用できる。

プレアヴィヒア寺院

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プレアヴィヒア寺院(Preah Vihear Temple)は、カンボジアとタイ国境にあるダンレク山地内のカンボジア王国領内(プレアビフア州)に位置するヒンドゥー寺院。9世紀末にクメール人によって建設され、11世紀に増築されたとされる。タイ側の呼称はプラーサート・プラウィハーン(ปราสาทพระวิหาร)。2008年7月に世界遺産登録。

プレアヴィヒア寺院の帰属はカンボジア・タイ両国の長年の懸案であったが、1962年にハーグの国際司法裁判所によりカンボジア領であると認められた。しかし寺院周辺の4.6kmの土地の帰属は未だに確定しておらず両国の懸案となっている。2008年の世界遺産登録に関しては当初タイ側の支持もあったが(タイ王国外務大臣のカンボジアのプレアヴィヘア寺院の世界遺産登録を支持)、その後支持したことがタイ王国の国内法違反とされ当外務大臣は7月中に辞任した。2008年7月中旬、タイ人3名がプレハヴィヘア寺院に不法侵入したとしカンボジア側に拘束された。(その後解放)この拘束に合わせタイ側が軍隊を派遣。それに対抗するようにカンボジア側も軍隊を派遣しにらみ合いが続いている。カンボジア側は国連安全保障理事会に一時訴えたがその後取り下げている。2008年7月28日、状況を打開すべくカンボジア領内のシエムレアプにて両国外務大臣が会談を行い、両国が軍を撤退させることで同意したが2008年8月3日現在では実現していない。2008年10月13日、カンボジアのフン・セン首相は、タイのソムポン外相との会談で、領内に侵入したタイ軍の14日までの撤退を求め、応じない場合は「戦争が起きる」と警告した。2009年2月10日、タイはプレアヴィヒア寺院のタイ側の入り口であるカオプラウィハーン国立公園を非公式に再開した。プレハヴィヒア寺院への立ち入りは不可能であるがタイ側からその姿を見ることは可能である。

アンコール遺跡群

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アンコール遺跡(アンコールいせき、Angkor)は、カンボジアの北西部、トンレサップ湖の北にあったアンコール王朝時代の遺跡群である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡である。

この地には、9世紀頃から数々の王建設が開始された。この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世(1113-45年)とジャヤーヴァルマン7世(1181-1201年)と言われる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる。

しかし、ジャヤーヴァルマン7世が崩御した後のアンコールはアユタヤ朝の進入を度々受けその存在を侵され始め、その後ポニャー・ヤット王にはついにアンコールを放棄するに至った。

歴史について

シハヌーク国王のもとで独立後、ベトナム戦争が起きると、国内は不安定となり、アメリカと南北ベトナムが介入し内戦状態となった。1968年には米軍の空爆が始まり、1970年にはロン・ノルのクーデターによりシハヌーク国王が追放された。内戦は一層激化し、空爆がカンボジア全域に拡大され数十万人が犠牲となると、クメール・ルージュ勢力の伸張をまねいた。1975年、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュの独裁者ポル・ポト政権が成立。1979年までに、旱魃、飢餓、虐殺などで100万人以上とも言われる死者が出た。(虐殺の数については5万~330万と諸説あり)。1979年にベトナム軍が侵攻しポル・ポト政権を打倒。その後ポル・ポト派含む三派とベトナム、ヘン・サムリン派との間で内戦が続いた。1989年にベトナム軍が撤退、1992年国連の平和維持活動が開始され、1993年には国連監視の下で民主選挙が実施された。9月に制憲議会が新憲法を発布し立憲君主制を採択、ノロドム・シハヌークが国王に再即位した。この時の国連の代表が日本国籍の明石康代表である。

プノンペン

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プノンペン(Phnom Penh,金邊)はカンボジアの首都で、国内最大の都市。

カンボジアの行政、文化、経済の中心地で、「東洋のパリ」と謳われたフランス植民地時代の美しい街並みが残っている。また、王宮があり、カンボジア国王が住んでいる。

プノンペンという名はクメール語で「ペン夫人の丘」という意味である。ペン夫人は信心深い女性で、川を流れてきた仏像を見つけ、近くの丘に祠を作り仏像を手厚く祀ったことから「プノンペン」と名付けられ、それが町の名前になった。その丘はワット・プノン(Wat Phnom)と名づけられ、ペン夫人の像や仏塔が立っている。

へーーーカンボジアのイメージが変わりました・・・
行って見たいな。゚(゚ノ∀`゚)゚。